差し色

 

大学生のうちにバイトをする時間は有益か否かという議論を少しツイッターで見た。

バイトをする時間があるくらいなら勉強とかした方がいいというロジック、優先順位に自分も同意するところで、一般的に考えて就活とかで差別化するにもバイトの話は弱いし(営業販売やらで社員まじえ張り合った中で上位とかそういうレベルは例外)、自分の子供だったら、海外で経験積める話(留学、旅行、ボランティア問わず)→お金出してもいい、長く打ち込める趣味の発見(継続)のため→お金出してもいい、という感じ。自分でお金稼ぐならありきたりなアルバイトでなく、採用などにもつながる実践的な長期インターンを選んで参加するのを勧めると思う。

就活の話だと、休日課長の趣味欄「カレー作り」の話が好きだ。記事を読めばわかるが、とてもクレバーな人なんだと思う。

ten-navi.com

 

 

 

いうまでもなく、バイトをする代わりにお金を出してやるとか、違う階層を見るためにバイトをするとか、こういった議論、視点は金銭的にとても恵まれた層のみができる話だ。

それでも話を進めると、家庭環境や生まれ育った地域、また通ってきた学校によってはアルバイトはした方がいいと思っていて、均一性の高い集団にいることに慣れてしまって自分とは違う層への免疫がない人生は、それが生涯貫き通せない限り(車は外車やレクサスしか乗ったことなくてマクドは行ったことありませんとかそういう階層)、あまり望ましいものではないんじゃないかと思っている。

自分も学生時代にいくつかバイトをした。塾講のバイトも学外の繋がりが生まれて色々面白い人がいて楽しかったし今に至るまで関係が続いている人もいてその繋がりは財産だし、比較的長く続けたので運営面にも少し関わる機会がもらえて勉強になった。

ただそれよりも、とある業界で社員さんに仕えながらバイトをしていたとき、仕事ができなくて上司に毎日詰められてて、生活でもお金が足りなくて所有していた車も手放さなければいけないような妻子持ちの若い社員が、部署内の若いシングルマザーにわかりやすく手を出していてそれを周りもみんなわかっているような環境で、顔は笑っていてもどこか目は笑っていないような、たぶん条件が許せば間違いなく自分は裏切られるんだろうなという、経済的にも社会的立場的にもあまり余裕がなく教養もモラルもない人に仕えた経験、接した経験が、今振り返ると本当に糧になっている。社会で使えるスキルやその後も続く人脈の獲得は全然できなかったけど、図書館の奥に引きこもって論文を探し、読み込み、ゼミ論文を書いていた経験の尊さとはすごく違うベクトルで、今なお自分の中に生きる糧だ。

 

chikirin.hatenablog.com

 

前も多様性というキーワードで連想したが、多様性、画一性に対する感性でやはり好きなのはちきりん氏の文章。

人間関係が固定してきたな、新しい風(価値観とか考え方とか)が最近めっきり入ってこなくなったな。こう感じたら一度今の場所を離れ、自分に必要と思う色を自分の中に差しに行きたい。