鑑賞の恩恵

ブログという仕組みができてまだ間もない頃、仲間数人で、それぞれが観た映画の批評を投稿できるブログを作った。もちろん普段も仲間内で映画の話はしていたのだが、それぞれが自分の感想を文章にしたものを読むのは何か新鮮で、こいつこういうこと考えてたのか、なんてのがわかってよかった。普段は寡黙だが嬉々としてたくさん投稿する人もいたりして、ブログを始めること自体は自分の発案で主導もしたのだが(記憶を美化していなければ)、自分は誰かが活きる仕組みを用意する役回りが好きで、またやりたいことであることに気づく、ある意味原点に近い経験だったのかもしれないなと振り返ってみると思う。

 


ピンポン

 

たしかピンポンはその頃くらいの映画で、漫画も読んだことあったと思うのだが、漫画の独特の世界観も魅力的ながら、それを映画でこう表現するとかスゲーと思った記憶がある。大倉孝二氏は漫画のキャラの再現度含めてすごい役者さんやと強く思った記憶も。また、窪塚洋介氏とARATA氏は当時より今の方がカッコいいんじゃないかというくらい、いい感じの歳の取り方をしているのはなんともうらやましい。

 

note.com

 

高井浩章氏のマンガ論が結構好きで、その高井氏がこんなツイートをしていたので「捨てがたき人々」を買って読んだ。

正直過激な内容で読む人を選ぶと思うし、人によっては過激な性的描写だけで生理的に拒否反応をする人も多いと思う。きちんと読み込まなければ内容をしっかり理解することもおそらく叶わず、簡単には人におススメできない。

すげえの買っちまったな..と思うのと同時に、ジョージ秋山氏がなんとも骨太な表現者であることはなんとか自分の頭でも理解できた。同作は映画化もされていて、ある意味救いようもないあのストーリーを、どう映像で表現したのかは正直ものすごく見てみたい。

たぶんもうお気づきかと思うのだが、私は映画や漫画、というかあらゆる作品の批評が苦手で、批評をするのも読むのも正直あまり興味がない。最初の映画批評のブログの話も、発案者である自分はあまり数を投稿できていなくて、書いても他の投稿と比べて量も少なく大した考察もできてないものだったと思う。たぶんその辺のセンスが絶望的に欠けていて、だからなのかそれ以外の性分なのか作品への評価は直感的なものでいいと思っていて、極端な話「いい」か「悪い」かだけでもいいと思っている。

鳥山明氏は子供時代、映画を何度も何度も繰り返し見て(映画館がまだ入れ替え制でなかった時代、1回見て、そのまま席で次の上映を待ち、もう1回鑑賞することができた時代)、その経験から、自分で描く絵の構成を考えるときも過去にたくさん観た映画から参考になる構成を記憶の中から引っ張り出してきて描くことができるんだ、当時の映画鑑賞の経験に感謝、なんて話をドラゴンボールのコミックそでのコメントで読んだ記憶がある。

私も映画は人並み以上には観ていると思うが、その経験からそんな恩恵を受けているかというともちろんそんなことはなく、じゃあ何か別に恩恵があったかというと、たぶんあるとしたら、「誰かの好きな映画の好みが自分と一緒だったりするとなんか嬉しい」とかそんなもんだと思う。
最近おススメの本とか映画とかをSNSでリレーで回しているのをちらほら見かけるけど、個人的には不幸の手紙みたいで誰かに何かを強制してる風なのが嫌いなのだが(バトン仮に渡されても受けないと思う)、もともと仕事の面でも尊敬していた人のおすすめ映画のセンスが良すぎて、やっぱこの人いいわと思った。自分がいいと思っている映画を、尊敬している人もいいと思っていることがとてもうれしいし、センスのいい人のおすすめの映画(本とかも)があれば観てみたいと思う。そういう感性は観た(読んだ)量で身につけるしかなくて、「いいな」とか「センスないな」とか、「合うな」とか「この人とは感想合わないな」とか、そう感じられること自体が積み重ねてきた鑑賞経験の恩恵なのだろうと。

 


八日目の蝉

 

いい映画の予告編っちゅうのはどうやってもいいものになる。あと中島美嘉氏の声っていつも映画にすごくハマる声だなぁと思うのは自分だけだろうか。