友だちってなんだ

だいぶ久しぶりにラインで連絡をとった先輩がいる。海外旅行をしていた時に観光地でたまたま意気投合した人で、宿も近かったので毎日のようにバーホッピングをして、ウイスキーの飲み方はその人から教わった。

自営業の人だったがコロナ渦で商売がうまくいっていないところがあるらしく、ちょっとしたメッセージのすれ違いで気分を害してしまったようなんだが、そのフォローをラインでするのが面倒になってしまってラインのやりとりが止まったままになってしまっている。

酒を飲める量も同じくらいだったので一緒にバーやレストランを飲み歩いた日はとても楽しくて、日本に帰国後も時折一緒に飲んでいたのだが、こういう時、そういえば気分屋なところあったなぁと改めて思い出す。 強気で媚びないところが魅力的な人でもあったのだけど、育ちが良すぎたのだろうか、普通の人は当然譲るようなというところで譲れないところというか。

ホテルのバーで遅くまで飲んでて、もう時間的に帰らなきゃいけないというところで店員さんの好意に甘えて飲み続けたりとか。付き合わせていた店員さんも事情で早く帰った方がよさそうだったのに、他の客からもお前たちがいたら店員さん帰れないだろとたしなめられたりしつつも真顔で飲み続けるとか超絶自己中だったなとか(もちろん自分は帰ろうと言っていた)。

金も持ってるしビジネス上の利害関係ある人とかは付き合いも上手そうだけど、全部裸になったとき、信頼できる人はあの人の周りにどれくらい残るんだろう、とかふと思ったり。ぽかぽか暖かい季節になると、水辺の穴場のレストラン、貸し切り状態の中冷えたワインボトルを一緒にあけた日が懐かしくなる。

 

この先輩が自分のスケープゴートになってくれるかというと正直疑問だが笑、海外という非日常の中で一緒に密な時間を過ごせて、気分屋で自己中でたまに扱いめんどくさかったけどどこか筋が通っていて信を置ける人だったから付き合いが続いている。またふらりと飲みに行く日は、もしかしたら数年後かもしれないが、たぶんあると思う(フォローはめんどくさいのでしないが)。

一方で、もう何年も付き合いがあり友人の中でも一番頻繁に会っていたような人でも、向けていた信頼の気持ちが揺らいでしまうことが一度でもあると関係も揺らぐことがある。どういうことがあるとそうなるかというのは説明が非常に難しいのだけど、そのときその都度はあまり気にならなくても追ってみると積み重ねで気になる小さな不信だったり、仲よくてこんなに長く付き合ってるのにこの人そういえばあまり本音わからないなとふとしたときに思ったり、うまく理由つけたつもりなんだろうけど面倒なことを結果的に押し付けられていて(ビジネスだったらロジックや根回し含めきれいな仕事でむしろ感心してしまうけど、それを自分との関係でやるということは友達として自分と同じ見方はしてくれていなかったんだなというのがわかるお願いをされて)いることがわかったりしたとき、もうそれ以後同じようにはいかないと思う。

 

真摯な友人が一人でもいたら、多分それはかなり恵まれた人生です|松井博|note

友人の定義は人によってそれぞれだと思うが、こういう方向性での考え方が好きだ。Noteの記事の中にも例示されているけど、仲がいいと思っていた同期数人に引っ越しの手伝いをお願いしたら断られたことがあって、あの時は若かったので少なからずショックだった。でもたぶんあの時の経験は自分の友人の定義設定に少なからず影響を及ぼしていて、その意味でとてもいい経験だったと思っている。

ちなみに映画監督の押井守氏は著書の中で、友達の基準をこう表現している。「イラクで失踪したときに、後先考えず、すぐに飛行機に飛び乗って現地に来てくれる人」と。

すかさず色んな方向からツッコミが来そうな極端な例えだが、だからこそ著書のタイトルは「友だちはいらない。」だ。家族や仕事仲間、師匠、あるいは小さきもの(ペットとか)などの必要性と比較しながら友人を定義する持論は、表現を生業としている人らしい周りに流されない突き抜けた考え方で、思想を完全に真似はできないが1つの考え方としてとても尊敬する。

 

自分で言うのもなんだが私は人のお世話をするのが好きで、いわゆる困っている人は放っておけなくて、例えば昔は初対面の人であっても知人友人の紹介を通して就活の支援をしたりとかなんだりを見返りなしで好んでよくしていた(今も稀にだけど機会があればやる)。そういう積み重ねが例えばSNS上の繋がりには数値として可視化されている部分もあるし、目には見えないし自分では認識できていないけど周りが自分を評価する上でプラスに働いていることもわずかながらあるとは思う。

今まで知り合った人の中で一番お金持ちだったいわゆる世界レベルでの成功者は、とにかく人に恩を受けたら必ず返すのを徹底していた。人の好き嫌いも激しくて傲慢なところもあったが自分の成功は自分の力だけじゃなくて他人の存在があるからこその成功であることを肌感覚で理解していて、染み付いた習慣でそれを実践していて、これはとても勉強になった。

 

たぶん自分が引っ越しの手伝いを頼まれたら、よほど嫌いとか苦手な人でなければ基本、引き受けてしまうと思う。一方で、それがたぶん普通の価値観でないことも理解していて、今でも自分の引っ越しの手伝いを人にお願いするのは自分にとって踏み絵をやらせるようなもので、過去の経験以降、同じ1人の友人にしか頼めない。幸い断られていないし、その友人は、意思を尊重しつつときに厳しいことも言ってくれるから、たぶん自分は恵まれた人生なんだろう。

よかれと思ってアマチュアで友人が出ている舞台をチケットを買って観に行ったり、演奏会を聴きに行ったり。何か見返りを求めてもちろん行ったわけではないけど、その中で今に至るまでずっと関係が続いた人はいない。予約したはずの演奏会(大学のサークル演奏会)にわざわざ高校の時の自分の友人まで連れて行ったら受付で自分の名前がリストになくて、それに対してほとんど謝罪もなかったなんてありえないこともあったなぁと。万人に向ける親切や信頼や信用は失望や裏切りなどのリスクを伴っていて、全て人生の糧にはなるんだけど、自分はやはり聖人にはなれないなぁと。

 

 


ハリウッド版「攻殻機動隊」!『GHOST IN THE SHELL ゴースト・イン・ザ・シェル』予告編

 

スカーレット・ヨハンソンと日本で連想するのは、自分の中ではロストイントランスレーションが1番。


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