マスク警察

今の職場では優秀で人格もできている人に囲まれて仕事ができており、プライベートでも会いたい人にしか会っていないので対人関係で大きなストレスに見舞われることは最近ほとんどなかったのだが、久しぶりに近づいてはいけない人に会った。

巷で話題のマスク会食について、「国民みんな」が当たり前にやっていることだからあなたもやりましょう!と真顔で言ってくる人で、心底ひいてしまった。マスク会食の意義を否定するわけではないのだけど、その人はやらない人を平気で攻撃(言葉によって)できる人だったので、自分が正しいと思っていることは他人もやらなければいけない、やらない人は悪だと本気で思い込んでいるようでそれが心底怖かった。学歴もあって社会的にも良いとされる職業に就いている人だったので、たぶん戦時中ってこんな感じの人たくさんいたんだろうなとすら思った。

民主主義社会において、法律など民主主義の適切なルールのもと人に強制できる義務付けと、行政などから強制力を伴わないお願いベースの情報発信の違いをたぶん本質的に理解できていなくて、おそらくこういう人が危機のときに自分の信念に基づいて人を傷つけられるんだろうなと思った。というか人を傷つけていることは自覚しているようで(傷つけてごめんなさい、でも私が正しいの、というスタンスらしい)、自粛警察のような、自分が社会を守らなければという立ち位置なのだろう。

もちろんマスク会食はじめやるべきことを徹底できることはとても尊いことなのだけど、誰もがそれを徹底できるわけではないことを許容できないと、民主主義が民主主義でなくなってしまう。人が人に何かを強制させることは非常に重たいことで、だからこそ人に罰を与えられる法令は非常に厳密なプロセスをもって設定される。いくら正しいことであっても、個人が個人の判断で人に何かを強制させられるとしたら、もうそれは民主主義の社会ではなくなってしまう。

「価値感の違いだから追及はしません」と言いつつ相手を傷つける言葉を選んで相手を攻撃できるのは、インテリの皮をかぶった弾圧者だ。問題はマスク会食が正しいか正しくないかではなくて(感染予防上正しいか正しくないかで言えば間違いなく正しい)、マスク会食以外の方法で感染を予防するため工夫をする(テイクアウトにする、食事は一気に済ませた後にマスクをしながら会話をするとか)人すら否定できる極端な思い込み、マスク会食をしない人を非国民がごとく個人の権限で恫喝できると思っていることだ。

その人はお酒を飲まない人みたいだったが、外食を控える人に対して、逆境のときにルールを守って外食楽しんでる自分すごいという姿勢をとれるのにも心の底からひいた。今政府が必死になってやっているのはどうやって飲食業界はじめ経済活動を維持するかであり、いわずもがな飲食業界はアルコール類の販売での稼ぎの幅が大きい。自分の環境の外をイメージできる想像力の欠如と、マスク会食発信の本当の意義は感染状況は「もうそれくらいしなくてはやばい段階」というメッセージを世の中に発信したことで、「10割の国民がそれをやらなくてはいけませんよ」というメッセージではないことを理解できていない教養のなさ。

最近いつも同じ道、同じ時間帯で、マスクしろとものすごい大きい声で叫ぶ男性を見ていて、緊張状態になると人の思考は攻撃的だったり極端なものになるというのを肌感覚で感じていて、事態が継続するにつれ、もっと色んなところで問題が露出してくる気がしていて、少し怖くなってきている。