マイノリティにとってのチャンス

最近仕事をしていて、コロナ前だったら細かいところでいちゃもんつけられてうまく進まなかったり止められていただろうなと思われる案件がすんなり通るようなケースが出てきたように思う。「いずれは必ず来るけど既得権益やら古い体質やらでなかなか進んでいなかったこと」がぐぐっと劇的に進む可能性が今あって、その「いずれは必ず実現されること」の流れを前からきちんと理解していて準備もしてきた人にとってはすごいチャンスでもあるんだろうと。

テレワークになって同僚が今仕事で何に取り組んでいるのか把握しにくくなった側面があると思うけど、たぶん二極化しているんだろう。チャンスだととらえて進めるべきところに挑戦できている層と、何をしていいんだかよくわからなくなってしまっている層に。在宅勤務になって「やる仕事がない状態」になることを心配してしまう人を基本的に自分は信用していなくて、大きなミッションを理解してそこからやるべきタスクを考える力がない人だととらえている。今はたぶんそれが浮き彫りになっているからある意味面白い。後者の層は頼むから枝葉末節にこだわって前者の仕事を邪魔することなく、その枝葉末節の部分に黙々と取り組んでいてくれと思う。

 

正直9月入学について議論ができるほど知見は持ち合わせていないのだが、抵抗勢力が機能しにくい状態のうちに 幹の部分の議論で突っ走って、この「こういう時は様々な調整をすっ飛ばして一気にいく」のが大事だとは思っていて。いずれ(大して必要もない)剪定をちまちまやらされる日々が戻るのだろうから、自分が取り組める範囲では、今のうちに大きな流れを適切に読み抜きやるべきことを済ませておきたい。

 

とにかく頑張ればいい、こういう価値観に対してコロナ前の状況で議論をして、同調圧力に負けず合理的な案を通すというのは正直困難を伴うところがあったと感じている。ただ、同じ空気感をまとう人同士の雰囲気で決まっていた事項も、緊急事態ゆえに健全な議論が多少でも機能しやすくなっているとも感じている。

在宅勤務というコロナ前とは異なる環境の中、わかりやすく成果を出して周りに伝え、自分の発言権を高めておくことも今やるべきことのような気がしていて、自分の価値観が今いる環境の中で相容れないところがあるのを自覚しつつそれでも社会に還元したい成果があるのであれば、今ほど頑張り時もないんだろうと。

 

ほとんど内容的に繋がりないかもだがマイノリティという言葉をタイトルに使おうと思って映画を思い出したので..(そもそも映画のあらすじをほとんど覚えていない、面白かったのは覚えている。なんかドラマで続編も出ているらしい。)。


マイノリティ・リポート (字幕版)

 

マイノリティって言葉としては日本語にもちろん訳せるんだろうけど、日本では概念としてあまり使われる機会がない気がするのは、たぶんマイノリティも尊重するという意思決定過程にはとても大事な要素、価値が日本ではあまり認識されていないからなんだと思ったり。考えがまだ柔軟な若い時たくさん洋画見といてよかったんだろうな、なんて思ったり。