違うものを同じもののように扱わないで

緊急事態宣言が出て以降、私の職場でもリモートワークで仕事が回る体制の整備が一気に進んだ。業務の精査がドラスティックに行われ不要不急の仕事はバッサリ切られ、電子で仕事が完結するよう業務フローも改善が進んでいる。しかし同じ社内でも部署によってリモートワーク導入の進み具合がかなり異なることも耳にしていて、こういうとき決断力と実行力があるリーダーが率いる部署に所属していることのありがたみを痛感する。前例を盲目的に重んじる、以前仕えていたようなリーダーの下今の状況にいたらどうなっていたかを想像するのはそれだけでフラストレーションだ。判断の質と速さは、その人の今までの積み重ねが出ているようで興味深く、恐ろしい。

 

経験と思考の繰り返しにより自分の頭の中では確立しているような理論でも、いざ言語化しようとするときれいに言葉にできないことが多くて、そのもやっとした何かを頭のいい方がわかりやすく表現してくださっているのを見つけたときはとてもうれしくなる。

自分が見てきた上の人、上に行くような人のほぼ全員が「他人から与えられた仕事をうまくこなせる(だけの)人」で、自分でマネジメントをする立場になった途端価値の出せない普通以下の存在になるというのを飽きるくらい何度も見てきた。ソルジャーとしてならものすごく優秀なんだけど指揮官としては残念な人に仕えることを何度も繰り返してきたともいえる(そんな環境にいる自分が一番残念だという話はどこかに置いておいて)。

日本は学生時代からリーダーシップ教育が不足していて、言われたことを粛々とこなせる人材の育成に未だ終始している→学生時代に特別なリーダーシップ教育を受けることなく社会人になる→社会人になってからも与えられた仕事をこなすことで評価をされ自分の頭で考え課題を見つけてくることはむしろ余計なこととされる評価軸の中生きてきた→それでそのまま上に上がった時、いったい何ができるのだろう?とずっと思ってきた。人を率いる経験のないまま人を率いる立場になってしまい、指揮官の服を着てはいるけれども服の中(マインド)は兵隊のままという人をたくさん見てきて、地位は人を作るというのは少なくともこの場合は全然的を射ていないなと感じてきた。

入社試験をトップの成績で突破して、入社後も花形ポジションを回ってきた同期から相談を受けたことがある。ちょうど同期が社費留学制度を利用し大学院に行っているときで、テキストがあってやることが決まっている課題であれば難易度が高くとも人よりうまくこなせるが、自分でテーマから探してくる課題だといくらやってもダメだと。何度新しいテーマ設定を持ち込んでも教授からダメ出しを食らっているらしく、私も思いつく限りのテーマを情報提供したりその分野に詳しい知人を紹介したりしたが、一方で内心では、実務経験を経て院生やってる人に期待するテーマ設定なのだから自分の実務経験とそれに対する問題意識を掘り下げて見つけるしかなくて、人に聞いてどうにかなるものではないんじゃないかとも思っていた。もちろん同期もそれは十分承知の上で聞いてきたのだとは思うが。
だいぶ落ち込んでいるようだったから「期待されているからこそのダメ出しだろ」と励ました。その同期も指導教授が将来自分がリーダーとして仕事の課題を設定する立場になることを見越しての厳しい指導であることをもちろん理解していたが、同時に自分がいかに言われたことをこなしてきただけで自分で考えることをしてこなかったかがよくわかったと嘆いていた。
今は元気にやっているようだが当時は精神的にもだいぶ参っていたようで、与えられた課題に邁進して評価されてきた人に対して突如違う評価軸を押し付け過度な期待を背負わせることが時にとても酷なことになりうることを知った。

大学で卒業論文を書いているとき、意識だけは高い学生だったので(当時は「意識高い」は純粋に誉め言葉だった)、若きほとばしる自らの課題認識からテーマを決め、文献を漁り、構成を練り、文章を書いていくという作業が楽しくてしょうがなかった。
学生の時、自分よりずっと要領がよく試験の成績もよかった友達から、論文の書き方について聞かれたことがある。色々と調べてはみたが何をどう書けばいいかわからないという相談で、見せてもらったノートには調べた内容がびっしりときれいにまとめられていた。問題意識(だけ)は強かった自分は、おそらく「こういう問題意識があるからこれを書きたい」というモチベーションの部分がそもそも強くないんだろうなという風に思いつつ、あまり良い助言もできず、そして自分よりはるかに高い成績をとれる人より優れた論文だけは書ける自分の能力が何なのかがよくわからなかった。

「日本では不作為をマイナス評価とは見なさないようだ」という記述はロバート・ゲラー氏の著書「ゲラーさん、ニッポンに物申す」の中にあったもの。これもまた自分がふわっと考えていたことがきれいに言葉にされていて感動した。

指示されたことをこなすだけで及第点以上がもらえて、自分で判断して行動しなくてもマイナス評価を受けないのであればもはや構造的に課題発見能力が育たない。育てようと思ったら、減点主義だけにならず、リスクを冒して成果をあげようとする人間を疎んじずむしろ積極的に評価する組織文化がないと。

もとより組織には与えられたタスクを高いレベルでこなす人も新しい課題を見つけてきて新しい価値を生み出す人も両方必要なので、だからこそ別のものとしてきちんと育成する必要がある。そういう意識のもと人材育成、キャリア形成が行われるのであれば、指揮官の服を着た中身が兵隊な人たちも、私の同期が直面したような困難に同じように苦悩する人も、受ける教育と就く仕事のちぐはぐな関係も、全てきれいさっぱりなくなるんじゃないかと思っている。